徳川家康 阿修羅

徳川旗

徳川家康 阿修羅

駿府。1616年6月初旬。湿気が多く、梅雨は毎年この月にやってきて、2、3週間続く。梅雨は私の好きな季節ではない。なぜか、思い出すと梅雨が嫌いになる。梅雨の時は、皆が家に集まって、火を囲んで餅を食べるのが常だ。今年は北海道から九州まで豊作で、良い年だった。この平和と繁栄の年は続くのだろうか。私は人間の本性を知っていると言われるが、本当のところは知らない。私は涙を流さず、冷酷な「阿修羅」にならないように、この平和を全力で守る。それが人の優しさの表し方の一つで、国中が知ることを期待しているわけではない。

関ヶ原の戦い

今日、私は90の戦場を戦い抜いた武士、あるいは将軍として、ベッドで苦痛に耐え、死を待っている。昨日、病状が悪化し、伊達政宗が見舞いに来て、禅の詩を朗読してくれた。「正直は行き過ぎると頑固になり、徳は度を超すと弱くなる」。朝鮮遠征で秀吉の家臣でありながら、関ヶ原の戦いと大坂の陣で豊臣家に敵対した、私が常に疑っていた人物の、洗練された倫理観が、私の中に宿っていた。秀忠には東北の大名を僭称しないよう忠告すべきかもしれない。何しろ彼は私と同じ戦国時代の人物なのだから。

忠誠心のない男は役に立たない、そう言っていたでしょう、豊臣秀吉? あなたのことを思い出すと、嬉しくなって笑みがこぼれる。弱腰の後継者を持てたのは、秀頼の自業自得だ。関ヶ原の戦い以前から、西域の大名に領地の多くを奪われていたのだから、いつか地獄で会っても私を責めないでくれ。お前の子孫を殺した私には、国を統一する義務がある。結局、日本を統一した武田信玄、織田信長、上杉謙信、豊臣秀吉に劣るのは、私の方なのだ。

この点において、私は森輝元や北条氏政よりも優れていると今でも感じています。私が成功したのは、あなた方よりも忍耐強く、長生きしたからに他なりません。もう一つの幸運は、適切な時期に、適切な資質を持った子供に恵まれたことです。秀忠には、9年前に幕府を譲りました。この時代を制したのは徳川家です。

秀吉、分かっている。君と私は、あの男の活躍を目の当たりにできた幸運な男だった。憎みながらも敬礼した男、いや、君のように彼を愛したわけではない。織田信長、我らの師。尾張国を支配し、国を統一しようとした最初の人物。明智光秀が裏切り、不意を突いて攻撃していなければ、本能寺の事件。もしかしたら、彼とその子孫が国を率いていたかもしれない。おお、信長、あなたは本当に偉大で、最強と呼ばれるにふさわしい。心からそう思う。もしかしたら、あなたは地獄で私を待っているかもしれない。私があなたをどれほど尊敬していたとしても、実はあなたをとても憎んでいることを知っておいてほしい。あなたが私の長男信康を武田勝頼と共謀してあなたを毒殺しようとしたと非難し、私の妻を処刑し、信康に切腹を強要した時。あなたは父親として、もう一人の父親の心を打ち砕いた。因果応報というものが存在することを、私は感謝している。あなたの息子たちは秀吉の策略によって悲惨な死を遂げましたが、八幡神が私の手によって彼らを滅ぼさなかったことに感謝しています。

戦国時代

自分の最期が近いと感じた。死後の世界で会いたくない唯一の人物は真田幸村だった。いつも私と徳川家に迷惑をかける人物。無理もない、誰しも人に見られたくない暗い一面を持っているものだ。弱くて、ずる賢くて、負け犬。だが、それが彼らの一部なのだ。人生は重い荷物を背負った長い旅のようなものだ。ゆっくりと着実に歩んできた道でつまずいた時、不完全さや不快感は人間の宿命であり、不満はおろか絶望する余地もないと自分に言い聞かせる。過ぎ去った日々を思い出し、心に野心的な願望が湧き上がる。

忍耐は、私の人生におけるあらゆる平穏と確信の根源である。敵の怒りを目の当たりにしても、私に必要なのは、いかにして敵を打ち負かすかを知ることだけだ。すべての戦いに勝つとは限らないが、最後の戦いに勝利するのは私なのだ。

生きている人たちが私が仏になると言っても、私は必ず死ぬ。それでも私は「阿修羅」になって、先に逝った皆さん、過去の敵も友も、皆に会える方が気が楽だ。なぜなら、皆さんは私に、人生や日々がどれほど楽しいものかを教えてくれたからだ。今の時代の人間にはない、過去の人々の精神が、私は本当に恋しい。どれだけ時間が経っても、楽しかった。この戦場で戦った時からずっと。皆さんもまだ楽しんでいるでしょう?

私がしていることは、家族のため、この家が強くあり続けるためだと、皆さんに理解していただきたい。だからこそ、秀忠を強く育てたいのだ。自分の信念を貫き、他人に簡単に左右されない、強い男に育てたい。何があっても負けず、取り残されない男に。彼は私の後継者となるだろう。

最後に、人が最終目標を達成したとき、残るのは死だけである。

XXX

Tokugawa Ieyasu
徳川家康

徳川家康は徳川家の初代将軍である。1543年1月31日、三河の岡崎城で生まれ、1616年6月1日、駿府で73歳で死去した。徳川幕府は1868年の明治維新によって終焉を迎えた。

XXX

翻訳:TOKUGAWA IEYASU, THE ASURA (English translation), IEYASU TOKUGAWA SANG ASHURA (Terjemahan Bahasa Indonesia).

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真田幸村 :最後の侍

真田幸村(1567年 – 1615年);本名:真田信繁;戦国時代の武将;徳川軍から大坂城を守った豊臣家の武将として知られる。

真田幸村 :最後の侍

春の朝のそよ風がゆっくりと大阪城に吹き込んだ。満開の桜に囲まれ、豊臣家の最後の砦は薄暗く佇んでいた。死神の微笑む顔が、彼らに会う時を待ち構え、城内の人々に暗い影を落としていた。

徳川軍は、几帳面な家長・家康に率いられて出陣していた。有力な大名たちが家康の後ろに控えていた。片目の伊達松目も家康を支えていた。角兜を被った本多芳一郎は馬に跨り、秀頼の忠実な支持者を片っ端から討ち取るべく構えていた。

徳川は冬条約を破った。条件付き和平は崩壊し、大坂の外城は陥落した。城内の人々は秀頼の愚行を呪い、城外の兵士たちは、金瓢箪旗を掲げて破滅へと向かった太閤秀吉の一人息子の愚行を嘲笑った。

真田家の幸村は、大阪城に忠誠を誓う唯一の将軍として、厳しい眼差しで刀を見つめていた。しかし、その眼差しには悲しみが満ちていた。秀頼は秀吉の父ではなく、大阪は冬の戦いで勝利寸前まで迫っていたにもかかわらず、江戸軍は和平を申し出たのだ。臆病な秀頼は、その欺瞞に満ちた条約を受け入れた。こうして、国中が西軍への信頼を失ったのである。

畳がかすかに軋む音とともに、若田部天蔵が一礼して入ってきた。この忍者は年老いており、眉には白髪が混じっていた。秀吉の時代から織田信長の時代まで仕えてきたのだ。「真田殿、城門で戦闘が勃発しました。江戸軍がポルトガル製の大砲を携えて城の内壁を破壊しに来ました。」

「ついに天蔵、私の出番が来た。」幸村は毅然とした態度で言った。「真田殿、将軍として秀頼陛下の傍に立つのが最善でしょう。」天蔵は反論した。忍者が将軍に逆らうべきではない。すべての武士は侍の掟を知っていた。

幸村は微笑んで言った。「天蔵。私が前線に出る。家康の陣営へ直行し、あのろくでなしの三河の首を持ち帰って、この戦いに勝利するのだ。」主君の言葉を聞いて、天蔵は床に頭を打ち付けて泣き叫んだ。「師匠、無謀なことはしないでください。まだ戦いが残っています。どうかよく考えてください。死を招くだけです。家康の陣営には二万の兵が守っているのですから。」

「天蔵、皆が去った今、残された将軍は私だけだ。洪水のように押し寄せる東軍の猛攻に、我々が勝利できるだろうか? 防衛すら困難だ。この戦いはとっくに終わっているべきだった。関ヶ原の戦いが起こる前に。天蔵の馬を用意せよ!」幸村は命じた。

幸村が馬に跨った時、日が沈みかけていた。天蔵は手綱を握りしめ、泣きじゃくった。「天蔵、秀頼陛下は私の作戦を承認してくださっている。」幸村は唾を吐き捨てた。「八幡に祈れ。徳川家康の首を必ず持ち帰る。」天蔵はさらに激しく泣きじゃくり、鼻水が垂れていた。「旦那様、もし負けたらどうするんですか?」

幸村は灼熱の太陽を見上げ、「名誉を守り、笑顔で死ぬ」と誓った。真田幸村は手綱を握り、全速力で戦場へと駆け出した。

真田幸村は、敵軍の矢を全身に浴びながらも、たった一人で徳川軍の包囲網を突破した。真田が徳川陣営にたどり着いたのは、夕暮れが迫る頃だった。そして、家康と対峙した瞬間、真田は死を迎えた。体は青ざめ、血の一滴も体から抜け落ちていた。彼は微笑みを浮かべたまま息絶えた。

主な原則

戦争に勝つために

兵士を作る

ハッピーデス

翻訳: YUKIMURA SANADA, THE LAST GENERAL (ENGLISH), YUKIMURA SANADA SAMURAI TERAKHIR (BAHASA INDONESIA)

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CONTOH PUISI CINTA BAHASA MANDARIN SIMPLIFIED (棵真实存在的树的记忆)

罗望子树的回忆

一棵真实存在的树的记忆

塞利梅姆市场后面有一条下坡路通往库纳洛伊村。过了小学,路左边有几栋房子。我父亲就出生在那里,也在那里长大。

路的右侧,一条鹅卵石小河缓缓流淌。我的父亲、祖父和我,我们这一代人可以追溯到因达图,都曾在这条清澈见底的河水中沐浴过。

我们曾在一个地方走过同一条路,尽管我们相遇的时间不同。我们无法一起真正地在一起。

我已经十二年没来过这个村子了,尽管小时候父亲和祖父经常带我来这里。不知为何,每次重访此地,我都会涌起一股莫名的情绪,或许是因为这里承载着我与父亲和祖父的回忆吧。

祖辈的木屋已被脆弱的混凝土砖房所取代,这象征着人类在这个地球表面的脆弱存在,我认识的许多老人也已经去世了。

我在村子里漫步,深深地呼吸着空气,试图挖掘出昔日文明的痕迹。库纳洛伊村位于塞米卢克附近,那里曾是曼特王国的所在地,其历史甚至比亚齐还要悠久。别问我遗迹在哪里;就连二十年前的建筑都已消失,更何况是两千年前的建筑,所以我没有什么可说的。

某种熟悉的事物仿佛在召唤我。路拐弯处,一棵罗望子树挺立在那里。我凝视着它良久,这提醒我,这里是我祖父的村庄。这棵罗望子树依然矗立在原地,就在那条平坦的柏油路边,而这条路五六年前才建成。

这棵罗望子树唤起了库纳洛伊村所有的旧记忆。我抚摸着它,轻声细语地对它诉说:告诉我,我的祖里亚特(一种印度传统植物)的历史,它将延续到哪里?哦,树啊,告诉我你所有的记忆!

午后凉爽的微风拂过我的脸庞,我的手脚微微颤抖,而那棵树却沉默不语。它凝视着我,仿佛在说:我多么希望能够告诉你这段记忆,但树木不会说话,这是自然法则。

我沉浸在那激动人心、充满喜悦又令人动容的情感爆发中。它让我脸上绽放笑容,也让我热泪盈眶。我转身离开那棵罗望子树,后退了几步,仿佛舍不得将目光从它身上移开。

我路过一座木制凉亭的遗址,大约三十年前,我曾在这里听过古老的故事。如今,这个讲故事的地方已经变成了一个排球场,由村里的资金资助,并得到了政府预算的支持。

今年我四十岁了。心中一直萦绕着一个问题,这让我激动不已:我会不会是最后一位来此参观的后裔?

笔记:

这首诗提醒每个男孩,你的父亲是这世上唯一一个真心希望你成为比他更优秀的人。在这个世界上,你会长大,会遇到并学习其他优秀的人,无论是老师、牧师、领袖,还是其他任何人。但你永远无法从任何人身上找到像父亲那样的感受。

译自:INGATAN SEBATANG POHON ASAM

 

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PERADABAN TANPA TULISAN JILID DUA

Kita semua adalah budak sejarah. Ia adalah sungai yang tak bisa diganggu siapapun. Kita juga tak bisa berenang melawan kekuatannya. Bahkan kita akan tenggelam ke dalam arusnya.

PERADABAN TANPA TULISAN JILID DUA

Lanjutan dari Peradaban Tanpa Tulisan

Membaca bukanlah hal alami bagi otak manusia, tak wajib ada untuk bertahan hidup. Para peneliti merumuskan bahwa jutaan tahun masa prasejarah manusia tidak membaca dan tak mengenal tulisan, mereka bertahan dan baik-baik saja (Dehaene, 2009; Ong, 2002). Kehidupan berjalan, manusia berburu dan mengumpulkan makanan dari alam sampai menuju fase pertanian dan peternakan, pelan dan pasti generasi demi generasi. Kebijaksanaan dan pengetahuan diturunkan dari generasi demi generasi.

Ketika sebagian manusia memilih menetap, sekitar 3200-3000 Sebelum Masehi, di kota Uruk Mesopotamia (sekarang Irak). Pertanian berkembang pesat, perdagangan menjadi semakin rumit, penyimpanan hasil panen, pajak yang dipungut membuat kapasitas manusia tidak lagi mampu mengingat segalanya (Nissen, Damerow, & Englund, 1993; Schmandt-Besserat, 1992). Masalah menciptakan solusi, muncul tulisan dikenal dengan aksara paku (Cuneiform), ternyata catatan komoditas seperti jumlah gandum, ternak, transaksi perdagangan, inventaris dan kepentingan penguasa berupa pajak melahirkan fase baru dalam peradaban manusia yaitu sejarah (Liverani, 2014).

Kemunculan tulisan kemudian bertindak memicu percepatan peradaban melahirkan kodifikasi hukum formal, hukum tulis pertama Kode Hammurabi di Babilonia untuk menjaga ketertiban masyarakat (Van De Mieroop, 2005). Selanjutnya memicu lahirnya sains dan sastra tertulis, matematika, astronomi, medis hingga epos Gilgamesh (Raja Uruk) dicatat untuk kemudian diwariskan (Bottéro, 1992). Kemunculan kelas baru pun terjadi, para juru tulis (scribes), untuk memenuhi kebutuhan didirikan sekolah-sekolah formal dan untuk mengarsipkan didirikan pula perpustakaan (Casson, 2001).

Setelah lahir di Sumeria, tulisan menyebar ke berbagai belahan dunia secara mandiri maupun melalui difusi budaya antara lain; Peradaban Sungai Nil, Mesir kuno (3100 SM), Lembah Indus, Asia Selatan (2600 SM), Lembah Sungai Kuning, Tiongkok (1200 SM), Mesoamerika, Maya (900-500 SM) (Coe, 1992; Robinson, 2007). Alfabet pertama (fonetik) baru lahir sekitar 1500 SM di wilayah Kanaan (Funisia), yang kemudian diadopsi oleh bangsa Yunani dan menjadi akar sebagian besar alfabet modern dunia (Diringer, 1996).

Berinteraksi dengan berbicara adalah kesadaran alami manusia, seorang anak yang lahir di manapun, akan memahami bahasa orang-orang sekitarnya (Pinker, 1994). Tapi membaca bukan kesadaran alami manusia. Tulisan yang baru ada sekitar 6000 tahun lalu, terlalu singkat dalam skala evolusi untuk membuat otak berkembang secara alami untuk membaca (Dehaene, 2009). Sehingga untuk bisa membaca otak harus melakukan upaya luar biasa, ketika seseorang belajar untuk membaca pertama kalinya. Pertama mengenali huruf, bibir melafalkan seolah sederhana tapi ini adalah proses otak bekerja dengan keras, dimana otak sedang menyambungkan tiga hal sekaligus yang belum pernah terhubung sebelumnya. Yaitu; mengenal bentuk huruf, merasakan bunyinya dalam kepala dan memaknai maknanya (Wolf, 2007). Awalnya pelan, terasa berat. Upaya terus menerus itu membentuk jalur dalam pikiran sampai satu ketika, dia membaca tanpa merasa telah membaca. Proses ini yang membedakan membaca dengan menonton misalnya. Sebuah sajian tontonan telah menyediakan gambar, suara, emosi dan ritme. Otak tinggal duduk dan menerima, otomatis (Greenfield, 2014).

Membaca adalah proses aktif dari otak, mengenali kata, merasakan bunyinya, dan membangun gambaran sendiri. Hal ini membuat efeknya menjadi lebih dalam (Carr, 2010). Ketika merasa membaca buku itu berat, maka bukan tidak mampu akan tetapi otak sedang latihan di level yang paling dalam. Duduk diam dan membaca dengan fokus penuh itu semakin sulit setiap harinya, notifikasi dan distraksi adalah hal yang tak bisa dihindari (Twenge, 2017).

Setelah tulisan ditemukan, dibaca dan diajarkan maka sejak itulah sejarah dimulai.

Tahun ini (2026) masuk rentang waktu abad ke-21 dan sejak tahun 2001 memasuki milineum ke-3. Ketika tulisan ini ditulis, penulis berusia 42. Lahir sebelum pergantian abad dan cukup beruntung untuk bisa bertemu dengan orang-orang yang lahir pada awal abad ke-20 dan akhir abad ke-19. Beberapa orang yang pernah penulis temukan di masa remaja memiliki pola pikir dan pola hidup yang sama sekali berbeda. Mereka bisa membaca dan menulis, namun tidak terlalu menganggap hal itu terlalu penting.

Istilah “tertinggal” sering dilabelkan kepada masyarakat atau individu non-literatus. Mereka disebut masyarakat berbudaya lisan primer yang memilih atau tidak mengembangkan sistem aksara konvensional karena struktur sosial dan ekologis mereka tidak terlalu membutuhkannya (Ong, 2002; Goody, 1987).

XXX

Abad ke-20 (latar belakang penulis di Aceh) adalah saat-saat terakhir dimana bisa melihat para nenek ke hutan dan kebun untuk mencari dan memilih daun untuk meredakan demam. Adalah mengesankan menyaksikan nenek berbicara dengan padi agar tumbuh subur, serta mengingatkan burung pipit untuk tidak memakan terlalu banyak.  Cara mereka melihat bulan, kapan waktunya mencari kepiting di pinggir pantai. Hal-hal tersebut bagi yang muda tidak lagi paham.

Baca: |Kaki Gajah| dan |Kaki Gajah Bagian Dua|

Beberapa orang menganggap itu sebagai kolot, ortodoks. Memang dunia modern telah memetakan banyak ilmu, termasuk medis, sekarang obat datang dalam kemasan dalam kotak, kemampuan  memilih daun tidak diperlukan lagi, orang-orangnya pun semakin berkurang. Kebijaksanan kuno memudar sebagaimana hari menjelang malam.

Ada yang sentimentil ketika membayangkan apa yang nenek-nenek kita ketahui dulu, terkubur ketika penuturnya pergi, ribuan tahun pengetahuan yang tak dibukukan ini siapa yang bisa mengingatnya. Penulis mencoba menuliskan beberapa, berharap itu tak musnah, tak biarkan itu pergi, hikayat akan tanah ini yang telah digenggam dengan tangan-tangan mereka, setiap pohon, setiap bintang serta alasan kita ada. Sayang pohon-pohon heterogen telah berganti homogen (sawit) dan kebenaran telah terjual hanya untuk makan.

Sebagai generasi muda penulis mengetahui ribuan hal (yang tidak diketahui leluhur), namun hanya sedikit ingat senandung mereka. Andai saja waktu masih ada penulis akan duduk bersama mereka, selagi mereka hidup, mempelajari bahasa-bahasa kemudian mendekap dalam dada, ketika nenek tiada pengetahuan musnah. Adalah kewajiban membawa cerita leluhur, menanggungnya, jika tidak siapa yang akan pernah mengingat mereka. Bahwa kebijaksanaan lama (kuno) harus dinyalakan dengan api membara, kisah-kisahnya harus diceritakan pengurus, bagai mahkota yang diwariskan.

Sejarah memberi pandangan, bahwa musuh-musuh pasti ingin menjadikan kita kosong, dijadikan baru, tanpa akar yang lama telah dilalui, pohon tanpa akar akan tumbang. Tanpa kebijaksanaan lama (kuno) yang menjaga kita tidak peduli pohon-pohon ditebang, gunung-gunung dikeruk, pada akhirnya kita dan anak cucu yang menanggung bencananya. Bahwa pengetahuan ini lebih berharga dari emas, mewariskan pengetahuan, mewariskan nama-nama serta memelihara cahayanya, menjadi echo kepada generasi penerus.

XXX

Ada yang bilang sejak tahun 2010, dipicu oleh ledakan telepon pintar, internet berkecepatan tinggi, serta algoritme media sosial berbasis video (seperti TikTok, Instagram, Reels dan YouTube Shorts) muncul kondisi sosial masyarakat paskaliterasi dimana fenomena sosial meninggalkan kebiasaan membaca dan menulis teks panjang dan mendalam (Postman, 1985; Hedges, 2009). Beralih pada media multimedia, audio visual dan digital instan. Berbeda dengan masyarakat buta huruf, masyarakat paska literasi mampu membaca dan menulis, namun memilih untuk tidak melakukannya untuk mencari informasi, Huruf-huruf digantikan oleh simbol grafis, video pendek, audio, dan aliran streaming (Kress, 2003).

Kecerdasan buatan yang semakin berpartisipasi dalam produksi, transformasi, dan sirkulasi bahasa, pertanyaan yang lebih berdampak mungkin adalah apa yang terjadi pada kapasitas kita untuk mempertahankan perhatian, interpretasi, dan agensi intelektual.

Masyarakat pasca-literasi bukanlah masyarakat tanpa tulisan. Sebaliknya, ini mungkin menjadi masyarakat dengan terlalu banyak tulisan. Apa yang berubah belum tentu hilangnya teks, melainkan posisinya di dalam tatanan komunikasi. Literasi mungkin kehilangan posisi kulturalnya yang istimewa tanpa menjadi usang. Seiring kecerdasan buatan yang semakin berpartisipasi dalam produksi, transformasi, dan sirkulasi bahasa, pertanyaan yang lebih berdampak mungkin adalah apa yang terjadi pada kapasitas kita untuk mempertahankan perhatian, interpretasi, dan agensi intelektual (Floridi, 2014; Carr, 2020).

Setiap perubahan prilaku memiliki dampak baik dan buruk sekaligus.

Kebaikan:

  1. Kecepatan dan Efisiensi Informasi: Informasi global dapat diakses, diserap, dan disebarkan dalam hitungan detik tanpa hambatan struktur bahasa yang kaku (Castells, 2010);
  2. Literasi Visual dan Multimodal yang Tinggi: Generasi muda sangat mahir menerjemahkan simbol, desain grafis, navigasi antarmuka digital, dan bahasa gambar secara instan (Kress, 2003).
  3. Demokratisasi Konten Kreatif: Siapapun dapat memproduksi informasi dan menjadi kreator tanpa harus melalui kuralisasi penerbit buku konvensional yang eksklusif (Jenkins, 2006).

Keburukan:

  1. Atrofi Kemampuan Berpikir Kritis (Deep Thinking): Otak manusia terbiasa dengan rangsangan cepat, sehingga rentang perhatian (attention span) menyusut drastis (riset menunjukkan rata-rata di bawah 9 detik) (Twenge, 2017; Carr, 2010).
  2. Dangkalnya Pemahaman Kontekstual (Superficial Understanding): Hilangnya kebiasaan membaca buku membuat masyarakat mudah termakan disinformasi (hoaks) karena malas membaca berita secara utuh (headline psychology) (Wardle & Derakhshan, 2017).
  3. Erosi Kosakata dan Kemampuan Menulis: Penurunan drastis pada kemampuan merangkai kalimat yang kompleks, runtut, dan bernuansa akademik maupun filosofis (Baron, 2015).

Jika kita renungkan, keadaan ini bukanlah kemajuan evolusi budaya melainkan bentil “buta huruf baru” secara fungsional, keadaan seseorang bisa membaca huruf secara mekanis, tapi kehilangan kapasitas untuk memaknai, merenungkan, dan menganalisa esensi dari informasi yang dikonsumsinya (Hirsch, 1987; Wolf, 2018). Patut dicari cara mencegah menurunnya daya ketahanan kognitif generasi kedepan menghadapi teks yang rumit dan mengancam kualitas berpikir kritis anak muda masa depan.

XXX

Ketika tulisan, sejarah dientaskan. Manusia tak punya kemungkinan kembali kepada peradaban tanpa tulisan kecuali generasi musnah dan jembatan itu terputus. Selama jutaan tahun manusia berkembang dari masa ke masa. Tiap-tiap masa ada orangnya, dan tiap orang ada masanya.

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Daftar Pustaka:
  1. Baron, N. S. (2015). Words Onscreen: The Fate of Reading in a Digital World. Oxford University Press.
  2. Bottéro, J. (1992). Mesopotamia: Writing, Reasoning, and the Gods. University of Chicago Press.
  3. Carr, N. (2010). The Shallows: What the Internet Is Doing to Our Brains. W. Norton & Company.
  4. Carr, N. (2020). The Glass Cage: Automation and Us. W. Norton & Company.
  5. Casson, L. (2001). Libraries in the Ancient World. Yale University Press.
  6. Castells, M. (2010). The Rise of the Network Society. Wiley-Blackwell.
  7. Coe, M. D. (1992). Breaking the Maya Code. Thames & Hudson.
  8. Dehaene, S. (2009). Reading in the Brain: The New Science of How We Read.
  9. Diringer, D. (1996). The Alphabet: A Key to the History of Mankind. Munshiram Manoharlal Publishers.
  10. Floridi, L. (2014). The Fourth Revolution: How the Infosphere is Reshaping Human Reality. Oxford University Press.
  11. Goody, J. (1987). The Interface Between the Written and the Oral. Cambridge University Press.
  12. Greenfield, S. (2014). Mind Change: How Digital Technologies Are Leaving Their Mark on Our Brains. Random House.
  13. Hedges, C. (2009). Empire of Illusion: The End of Literacy and the Triumph of Spectacle. Nation Books.
  14. Hirsch, E. D. (1987). Cultural Literacy: What Every American Needs to Know. Houghton Mifflin.
  15. Jenkins, H. (2006). Convergence Culture: Where Old and New Media Collide. New York University Press.
  16. Kress, G. (2003). Literacy in the New Media Age.
  17. Liverani, M. (2014). The Ancient Near East: History, Society and Economy.
  18. Nissen, H. J., Damerow, P., & Englund, R. K. (1993). Archaic Bookkeeping: Early Writing and Techniques of Economic Administration in the Ancient Near East. University of Chicago Press.
  19. Ong, W. J. (2002). Orality and Literacy: The Technologizing of the Word. Routledge (Edisi asli 1982, direvisi 2002).
  20. Pinker, S. (1994). The Language Instinct: How the Mind Creates Language. William Morrow and Company.
  21. Postman, N. (1985). Amusing Ourselves to Death: Public Discourse in the Age of Show Business. Viking Penguin.
  22. Robinson, A. (2007). The Story of Writing: Alphabets, Hieroglyphs & Pictograms. Thames & Hudson.
  23. Schmandt-Besserat, D. (1992). Before Writing: From Counting to Cuneiform (Vol. 1). University of Texas Press.
  24. Twenge, J. M. (2017). iGen: Why Today’s Super-Connected Kids Are Growing Up Less Rebellious, More Tolerant, Less Happy–and Completely Unprepared for Adulthood. Atria Books.
  25. Van De Mieroop, M. (2005). King Hammurabi of Babylon: A Biography.
  26. Wardle, C., & Derakhshan, H. (2017). Information Disorder: Toward an interdisciplinary framework for research and policy making. Council of Europe.
  27. Wolf, M. (2007). Proust and the Squid: The Story and Science of the Reading Brain.
  28. Wolf, M. (2018). Reader, Come Home: The Reading Brain in a Digital World.

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Beberapa opini terakhir:

  1. BustanusSalatin Panduan Berkuasa Para Sultan Aceh; 27 September 2020;
  2. Kenapa Sejarah Tak Boleh Dilupakan; 4 Oktober 2020;
  3. Penjara Pikiran; 9 Oktober 2020;
  4. Mengapa Harus Mempelajari Bahasa Daerah; 17 Maret 2021;
  5. Ilmu Memahami Ilmu; 15 Juni 2021;
  6. Lembu Patah; 18 Desember 2021;
  7. Jangan (Mudah) Percaya Dengan Apa Yang Kau Baca; 12 Februari 2022;
  8. Aceh Yang Dilupakan; 29 Maret 2022;
  9. Sejarah Tak Bepihak Kepada Kita; 8 September 2022;
  10. Di Bawah Naungan Lentera; 26 Januari 2023;
  11. Masihkah Orang Aceh Berjiwa Penyair; 24 Juni 2023;
  12. Ditampar Kebenaran; 8 Oktober 2023;
  13. Bagaimana Mengelola Harta Menurut Hikayat Kalilah wa Dimnah; 8 April 2024;
  14. Menjawab Polemik Makam Tandingan Syekh Abdur Rauf As-Singkili Atau Tengku Syiah Kuala; 12 Mei 2024;
  15. Amanah Wali: Selamatkan Hutan Aceh; 19 Desember 2025;
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SERUAN MERONG MAHAWANGSA

Ketika armada Rom yang dipimpin Merong Mahawangsa berlayar mendekati wilayah perairan Nusantara, Burung Geruda datang menyerang bahtera mereka secara bertubi-tubi. Merong Mahawangsa bertarung mati-matian menggunakan kesaktiannya (termasuk melepaskan anak panah sakti bernama Ayunan) untuk melindungi Putera Raja Rom dan mempertahankan armada mereka dari kehancuran. (Sumber: Hikayat Merong Mahawangsa)

SERUAN MERONG MAHAWANGSA

Wahai orangnya Langkasuka, sekalian suku dengarkanlah kata-kataku! Sudah banyak purnama tapi guruda menconteng arang di muka kita, memarutkan hati, mencantas tangan dan kaki.

Iya, hamba raja kamu semua. Tapi untuk hari ini, hamba serupa macam tuan hamba semua. Darah yang mengalir sama merahnya sama pekatnya. Kita bernafas pada angin yang sama. Bumi yang kini dipijak, langit yang kita junjung. Semuanya hak kita dan anak cucu kita.

Hari ini mungkin ada yang tak akan kembali, ramai. Atau mungkin semua sekali akan rebah ke bumi. Tapi apa gunanya hidup lama, kalau tidak bebas dan merdeka dari budak berandal guruda. Sampai bila anak dara dan turunan kita, mahu dijadikan mangsa rakusnya lanun celaka.

Iya, kita berjuang akan merampas kembali tunangannya putera dari Rom ini. Tapi bukan itu sahaja sebabnya, kita juga akan merampas marwah kita. Daulatnya Langkasuka bukan sahaja daulat hamba tapi daulat tanah kita semua.

Hamba lebih rela mati dari hidup sebagai abdi. Hamba kepada ketakutan dan keganasan binatang-binatang itu, demi marwah dan kesejahteraan negara. Marilah bersama kita tebas petualang bangsa. Serang!

Beberapa cerita terakhir:

  1. Harlequin Dan Pohon Harapan; 30 Oktober 2016;
  2. Permufakatan Para Burung; 5 Januari 2017;
  3. Kepada Cinta Yang Berumur Seminggu; 13 April 2017
  4. Senja Di Malaka; 14 Juni 2017;
  5. Mengecoh Sang Raja; 17 Oktober 2017;
  6. Wawancara Dengan Sang Iblis; 1 Januari 2018;
  7. Legenda Gajah Putih; 12 Januari 2018;
  8. Genderang Pulang Sang Rajawali; 22 Februari 2018;
  9. Kisah Menteri Jaringan Melawan Kapitalisme Amerika; 17 Desember 2018;
  10. Legenda Naga Sabang; 29 Mei 2020;
  11. Legenda Gunung Geurutee; 1 Juni 2020;
  12. Abu Nawas Menasehati Raja; 2 Juni 2020;
  13. Akhir Riwayat Sang Durjana; 25 Maret 2021;
  14. Hikayat Meurah Silu; 6 Juni 2021;
  15. Raja Dekat Tuhan Jauh; 3 Agustus 2021;
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SUNGAI KEJAYAAN

Jembatan Beurawe di tepian Krueng Aceh (pernah menjadi saksi kejayaan Kerajaan Aceh). Suatu pagi, 18 Rabiul Awal 1448 H – 31 Agustus 2026 –

 

SUNGAI KEJAYAAN

 

Sungai Aceh mengalir deras ke utara, airnya bisakah menjadi cermin?

Ombak menghanyutkan para pahlawan

Benar salah, sukses gagal, sirna dalam sekejap

Gunung Seulawah tetap berdiri, pasaknya bisakah menjadi tongkat?|1|

 

Berapa kali senja merah? Jarak antara kita dengan Meurah Johan|2||3|

Lebih delapan abad. Mungkinkah 25 generasi?|4|

Sebagai manusia kita harus berpandangan jauh.

Jangan mengejar keuntungan kecil di depan mata

 

Jadikan Ali Mogayat Syah|5| cermin, ingatlah Tazkirah Thabaqat|6||7|, buah pikir dari abad 15 Masehi

Generasi demi generasi lupa, naskah pun telah rusak

Lindungi hutan, lindungi masa depan.  Selamatkan hutan, selamatkan anak cucu

Aku menangisi takdirku, pelan-pelan melihat jalan kehancurannya

 

Di tepian Krueng Aceh. 31 Agustus 2026 (18 Rabiul Awal 1448 H)|8|

 

Geografi, demografi, kebudayaan sebagaimana cinta, tiada abadi tanpa upaya saling memelihara, pilihannya hanyalah musnah|9|.

 

Catatan Kaki:

1. Krueng Aceh dan Gunung Seulawah: Krueng Aceh (Sungai Aceh) merupakan urat nadi hidrologi utama yang membentang dari hulu Aceh Besar hingga muara Banda Aceh, sedangkan Gunung Seulawah berfungsi sebagai benteng vegetasi ekologi dan pilar topografis wilayah barat Sumatra (Ibrahim, 2023). Sumber: Alfian, T. Ibrahim. (2021). Wajah Asia Barat di Mata Pujangga Aceh (Edisi Revisi). Banda Aceh: Pusat Dokumentasi dan Informasi Aceh.

2. Meurah Johan: Tokoh historiografis yang diyakini dalam tradisi lisan (Hikayat Aceh) dan historiografi lokal sebagai pendiri Kerajaan Lamuri/Darussalam pada abad ke-12 M (Djajadiningrat, 1983). Gelar Meurah (Gajah) merupakan gelar kehormatan bagi penguasa/bangsawan pra-Islam di Aceh. Sumber: Djajadiningrat, Hoesein. (1983). Kesultanan Aceh: Suatu Pembahasan tentang Sejarah Kesultanan Aceh Berdasarkan Bahan-bahan yang Terdapat dalam Karya Sastra Melayu (Terjemahan Teuku Hamid). Jakarta: Departemen Pendidikan dan Kebudayaan.

3. Meurah Johan: Pendiri Banda Aceh (Kutaraja): Hasjimy menyimpulkan bahwa Sultan Johan Syah (Meurah Johan) naik tahta dan mendirikan Kerajaan Aceh Darussalam pada hari Jumat, 1 Ramadhan 601 H (22 April 1205 M). Tanggal ini yang kemudian dijadikan dasar penetapan hari jadi Kota Banda Aceh. Sumber: Hasjimy, A. (1993). Sejarah Kebudayaan Islam di Indonesia. Jakarta: Bulan Bintang.

4. Kalkulasi Generasi: Rentang waktu 8 abad (abad ke-12 hingga ke-21 M) mencakup estimasi 25 generasi (800 tahun). Hal ini melambangkan terputusnya rantai ingatan sejarah antara generasi pendiri dan generasi modern.

5. Sultan Ali Mughayat Syah: Pendiri sekaligus Sultan pertama Kesultanan Aceh Darussalam (1514–1530 M) yang menyatukan kerajaan-kerajaan kecil (Lamuri, Daya, Pedir, Pasai) serta menghentikan penetrasi kolonial Portugis di Selat Malaka (Lombard, 2014). Sumber: Lombard, Denys. (2014). Kerajaan Aceh: Zaman Sultan Iskandar Muda (1607–1636) (Terj. Winarsih Arifin, Cetakan Ulang). Jakarta: Kepustakaan Populer Gramedia (KPG).

6. Tazkirah Thabaqat: Risalah etik tata negara dan silsilah kepemimpinan dalam korpus sastra Melayu-Aceh abad ke-15–17 Masehi. Naskah-naskah ini memuat panduan etika kepemimpinan serta pengelolaan keseimbangan antara manusia dan alam (Alfian, 2021). Sumber: Alfian, T. Ibrahim. (2021). Wajah Asia Barat di Mata Pujangga Aceh (Edisi Revisi). Banda Aceh: Pusat Dokumentasi dan Informasi Aceh.

7. Tazkirah Thabaqat: Penyusun Awal (Abad 15-16 M / 913 H): Naskah awal disusun oleh Syekh Abdullah Asyi atas perintah Sultan Ali Mughayat Syah seiring dengan pembentukan Kerajaan Aceh Darussalam yang bersatu (sekitar tahun 1514 M).

8. Konversi Penanggalan Ganda (Masehi – Hijriah): Tanggal 31 Agustus 2026 Masehi bertepatan dengan tanggal 18 Rabiul Awal 1448 Hijriah. Penulisan penanggalan ganda ini mengikuti tradisi penyuratan klasik Melayu-Nusantara yang memadukan kalender syamsiyah (masehi/sipil) dan qamariyah (hijriah/islam).

9. Maksim Ekologi-Kultural (Epilog): Catatan penutup berupa klausa filosofis yang menegaskan prinsip ekokritisisme. Keberlanjutan bentang alam (geografi), populasi manusia (demografi), dan peradaban (kebudayaan) saling terikat secara dialektik (co-dependence); tanpa asas konservasi dan pemeliharaan aktif, kehancuran (extinction) adalah konsekuensi mutlak.

Beberapa Puisi terdahulu:
  1. Jika Hari Ini Adalah Kemarin; 20 Februari 2019;
  2. Jangan Mencintai Lautan; 4 April 2019;
  3. Seorang Tanpa Nama Tanpa Gelar; 15 Mei 2019;
  4. Peucut Kherkof Suatu Masa; 24 September 2019;
  5. Mengunci Malam; 1 April 2020;
  6. Apa Arti Masa Depan; 10 Juli 2020;
  7. Perahu Baa Mencapai Alif; 23 September 2020;
  8. Jejak Langkah; 26 Desember 2020;
  9. Hati Resah Berkisah; 1 April 2021;
  10. Kopi Pahit Semalam; 11 Agustus 2021;
  11. Mimpi Mimpi Pion; 30 November 2022;
  12. Kembali Pada Kekasih; 28 Mei 2022;
  13. Ingatan Sebatang Pohon Asam; 21 April 2024;
  14. Mahligai Kemasygulan; 27 Desember 2025;
  15. Sungai Kesetaraan; 8 Juni 2026;
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SUNGAI KESETARAAN

Jembatan Krueng Sabee

SUNGAI KESETARAAN

 

Air sungai mengalir pelan, gelombangnya menapis leluhur

Benar atau salah, keberhasilan dan kegagalan semua sirna dalam sekejap

Pegunungan hijau itu masih ada, beberapa kali gelombang laut menerjang daratan

Matahari senja tetap memerah sebagaimana ribuan tahun sudah

 

Tidakkah engkau ingin melihat sungai mengalir menjelang lautan?

Jika ingin menatap lebih jauh, naiklah selantai lebih tinggi

Air dari langit berhambur ke bumi, berarak pelan dari hulu ke hilir

Jika ia tiba ke samudera, walau setetes apakah akan mengulang?

 

Disini matahari tenggelam di taufah bagian barat

Arus waktu seperti lazimnya, aku melihat diriku di cermin

Rambut yang dahulu hitam seluruh telah memutih

Kejayaan selalu diikuti kejatuhan

 

Kehidupan manusia terus berjalan maju, tak pernah kembali ke masa lalu

Aku yang lahir dipinggir sungai belum mambawa kebajikan

Sungai ini menjadi saksi hidupku

Peradaban muncul silih berganti, disini waktu terkunci

 

Krueng Sabee, 12 Dzulhijjah 1447 Hijriah (bertepatan 29 Mei 2026)

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15 Puisi terakhir:

  1. Laut Dan Senja; 10 Januari 2019;
  2. Jika Hari Ini Adalah Kemarin; 20 Februari 2019;
  3. Jangan Mencintai Lautan; 4 April 2019;
  4. Seorang Tanpa Nama Tanpa Gelar; 15 Mei 2019;
  5. Peucut Kherkof Suatu Masa; 24 September 2019;
  6. Mengunci Malam; 1 April 2020;
  7. Apa Arti Masa Depan; 10 Juli 2020;
  8. Perahu Baa Mencapai Alif; 23 September 2020;
  9. Jejak Langkah; 26 Desember 2020;
  10. Hati Resah Berkisah; 1 April 2021;
  11. Kopi Pahit Semalam; 11 Agustus 2021;
  12. Mimpi Mimpi Pion; 30 November 2022;
  13. Kembali Pada Kekasih; 28 Mei 2022;
  14. Ingatan Sebatang Pohon Asam; 21 April 2024;
  15. Mahligai Kemasygulan; 27 Desember 2025;
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CONTOH PUISI CINTA BAHASA MANDARIN TRADISIONAL (錯過)

日日夜夜,我的腦海裡總是縈繞著我。
我彷彿看到了你的臉

錯過

也許我懷念他。

對他來說也是這種感覺嗎?這麼長時間以來,他一直鼓勵我實現目標,說服我們即使看不到明確的方向也要繼續奮鬥。

我正在努力接受自己的限制,明白我無法保護所有我愛的人。我不是戰士,也不是英雄。

也許我太想念他了。

每次看到她像孩子一樣閃閃發光的眼睛,我就覺得自己是當之無愧的伴郎。

是的,我也很想念他。

他總是給我鼓勵和自豪。

我想念她。

翻譯:RINDU

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IBNU KHALDUN PERINTIS ILMU SEJARAH DAN ILMU-ILMU SOSIAL MODERN

Kitab Mukkadimah Ibnu Khaldun versi terjemahan Bahasa Indonesia.

IBNU KHALDUN PERINTIS ILMU SEJARAH DAN ILMU-ILMU SOSIAL MODERN

Warisan pemikiran Ibnu Khaldun

Tahukah kalian pada abad ke-14, Ibnu Khaldun membuat sebuah Analisa brilian bahwa setiap kekaisaran besar akan jatuh, dia menemukan sebuah pola yang akan mengubah persepsi kita dalam memahami keberhasilan dan kegagalan selamanya. Ketika ia mengasingkan diri di Benteng Salamah (Qal’at ibn Salama), Aljazair, ia menulis muqaddimah dan membuka teori tentang peradaban1, bahwa setiap kekaisaran sampai saat itu mempunyai pola siklus empat generasi serupa yakni:

  1. Generasi pertama, membangun dengan kerja keras dan disiplin. Mereka Tangguh, fokus dan dipenuhi rasa lapar untuk mengubah keadaan menjadi lebih baik;
  2. Generasi kedua, mempertahankan dan mengembangkan kekuasaan yang telah dimiliki, mereka mengalami bersama, dan mengingat perjuangan yang telah dilakukan sehingga dapat mencapai kejayaan.
  3. Generasi ketiga, mulai menikmati kemewahan dan mulai kehilangan ketajaman para ayah dan kakek mereka. Mereka tidak mengalami perjuangan terdahulu dan hanya mendengar cerita saja.
  4. Generasi keempat, pada umumnya jatuh menjadi lebih lemah, dan korupsi internal2.

Ibnu Khaldun menganalisa kehancuran Kekaisaran Mongol berabad sebelum benar-benar terjadi, dinasti mongol terakhir, Chagatai Khanate yang bertahan hingga tahun 1687. Ia juga mengingatkan kepada Kekaisaran Turki Utsmani akan tantangan-tantangan masa depan. Pemahaman Ibnu Khaldun bahkan jika diterapkan pada peradaban modern masih relevan. Ia memberikan pandangan tentang perubahan cuaca dan geogafi membentuk peradaban, bahwa kenyamanan memicu kelemahan, dimana perjuangan akan menumbuhkan kekuatan. Para ekonom dan ilmuan modern saat ini masih menggunakan teorinya untuk menganalisa negara-negara superpower3. Bahwa siklus akan berulang. Berada di generasi manakah kamu?

Ibnu Khaldun berusaha membebaskan sejarah dari kebohongan.

Pada Muqaddimah dikarang oleh Ibnu Khaldun pada abad ke-14, tepatnya mulai ditulis pada tahun 1377 M (779 H). Ia mengatakan, ketika membaca sejarah seseorang harus lebih skeptis, para sejarawan mungkin berbohong, jangan mempercayai semua yang ditulis. Membaca Herodotus jangan mengambil segala cerita dalam Illiad sebagai fakta4, Bahwa cerita Perang Troya mungkin ada, akan tetapi kisahnya tak persis sebagaimana ditulis Herodotus. Ada banyak kebohongan di sana, mitos, legenda bercampur aduk. Sebagai pembaca harus berpikir tentang apa yang diceritakan, kenapa dia bercerita? Dan dengan apa dia bercerita. Ibnu Khaldun juga mengatakan, seharusnya kita memiliki sistem pembelajaran yang sistematis tentang politik, dan juga sosiologi serta manusia yang hidup dalam cakupan suatu wilayah. Dengan kata lain dia adalah penemu ilmu sosial, termasuk cabang-cabang di dalamnya

Ibnu Khaldun Sang Bintang Cemerlang

Dalam tesis Ibnu Khaldun di bidang politik. Ilmuwan yang pernah dimintai nasehat oleh Timur Lenk ini mengatakan, bahwa pada dasarnya negara itu dibangun atas dasar ashabiyah5 atau solidaritas kesukuan. Pada masa modern hal ini dibuktikan dengan fenomena sosio-historis yang pernah melanda dunia seperti keruntuhan Uni Sovyet dan Yugoslavia. Arnold J. Toynbee menjuluki ilmuwan ini dengan “bintang yang bersinar dengan amat cemerlangnya6”. Ibnu Khaldun adalah sejarahwan pertama tercatat menggunakan metode empiris dengan mengatakan bahwa pengetahuan dicapai dengan pengalaman indrawi (pengamatan) jauh mendahului teori Francis Bacon, David Hume dan filsuf-filsuf lain. Model metodenya bukan tanpa kekurangan, akan tetapi karyanya al-Mukaddimah mendapat pengakuan baik di Timur maupun Barat. Ibnu Khaldun ternama sebagai ahli filsafat sejarah, melebihi hal itu ia juga menguasai banyak bidang ilmu lain, ia banyak melahirkan teori-teori baru pada zamannya.

Ilustrasi Ibnu Khaldun Pemikir Islam di Abad 14 di Negri Magrib

Biografi Singkat Ibnu Khaldun

Lahir dengan nama Abdurrahman bin Muhammad bin Muhammad bin Abi Bakar Muhammad bin al-Hasan bin Jabir bin Muhammad bin Ibrahim bin Abdurrahman bin Khaldun. Nama beliau sebenarnya adalah Abdurrahman, Abu Zaid adalah nama panggilan, Waliuddin adalah gelar yang didapat ketika menjadi qadhi di Mesir, dan Ibnu Khaldun adalah nama masyhurnya. Beliau dilahirkan 1 Ramadhan 732 Hijriah (bertepatan 23 Mei 1332 Masehi) di sebuah desa di Tunisia sekarang7. Ia besar dan tumbuh dewasa sampai usia 20 tahun di kampung halamannya. Semenjak kecil ia belajar dan menghafal ayat-ayat al-quran dan guru pertama adalah ayahnya sendiri, Muhammad Abu Abdillah. Ia juga mempelajari tafsir, hadist, fiqih, bahasa (balaghah) dan sastra Arab.

Pada tahun 749 H kampungnya di Tunisia dilanda wabah kolera yang merenggut kedua orang tuanya, karena wabah ini banyak ulama dan guru dari Ibnu Khaldun yang meninggal dunia, maka di usia 20 tahun ia meninggalkan kampungnya. Sekitar 25 tahun ia mengembara dari Tunisia ke Aljazair, Maroko dan Andalusia (Spanyol sekarang dahulunya wilayah muslim). Ditunjang oleh ilmu dan bakat yang dimilikinya, Ibnu Khaldun kerap mendapat tugas dan jabatan dari pemerintah di mana ia berada. Kariernya bermula pada usia 20 tahun diangkat menjadi sekretaris Sultan al-Fadhal bin Sultan Ali Yahya al-Hafsi, seorang penguasa dari Dinasti Hafshiyah di Tunisia8. Sekian lama terlibat dunia pemerintahan sekitar 32 tahun, beliau berfokus menulis dan mengajar. Kemudian selama 20 tahun menjelang meninggal memimpin pengadilan tinggi di Mesir. Ilmuwan yang dikenal sebagai imam dan pembaharu berbagai disiplin ilmu ini meninggal dunia pada 26 Ramadhan 808 Hijriah (bertepatan 16 Maret 1406 Masehi) di usia 76 tahun dan dimakamkan di Kairo Mesir terletak pada pemakaman para sufi.

Karya dan prestasi Ibnu Khaldun

Dari beberapa buah pikir Ibnu Khaldun, Kitab al-Iktibar beserta Muqaddimahnya merupakan puncak dari karya beliau. Al-Muqaddimah, pada dasarnya adalah merupakan kata pengantar dari kitab al-Iktibar. Dikarenaa cukup bermutu dan padat informasi penting, pada akhirnya lebih populer dari pada kitabnya sendiri.

Al-Muqaddimah secara sistematis menjelaskan berbagai aspek gejala sosial, karya ini telah diterjemahkan ke berbagai bahasa. Dalam Menyusun kitab ini Ibnu Khaldun menghabiskan waktu 5 bulan, dengan menempuh 2 tahapan. Pertama menggabungkan antara pengamatan langsung dan fakta-fakta sejarah. Kedua, memfokuskan pemikiran pada tema-tema pokok gejala sosial yang dia teliti, dan selanjutnya dipaparkan dalam bentul tulisan. Dari motede tersebut, muncullah hukum-hukum yang meliputi gejala-gejala sosial, metode ini terus dikembangkan dan digunakan oleh sosiolog modern sampai hari ini.

Ibnu Khaldun tercatat sebagai pemula berbagai disiplin ilmu turunan dari sejarah dan sosiologi dan ilmu-ilmu lain seperti autobiografi, penulisan khat/Arab, psikologi, hadist fiqih khususnya mahzab Maliki. Kitab al-Iktibar berjumlah 6 jilid, ditambah muqaddimah 1 jilid mencakup berbagai pembahasan yang padat dan singkat tentang berbagai hal. George Sarton (1884–1956) adalah seorang ilmuwan dan sejarawan kelahiran Belgia yang menetap di Amerika Serikat, yang secara luas dianggap sebagai Bapak Sejarah Sains Modern memberikan komentar tentang Ibnu Khaldun. Sosiolog, ekonom, politikus, dan seorang yang begitu tekun mempelajari masalah manusia secara mendalam. Ia menganalisa masa lampau umat manusia supaya dapat memproyeksikan keadaan masa mendatang. Tentu dengan sinisme sebagai orientalis Sarton juga menyebutkan bahwa Ibnu Khaldun sebagai sejarawan terbesar pada Abad Pertengahan yang “menjulang bagai raksasa di antara suku-suku primitif9“.

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Referensi:
  1. Ibnu Khaldun, The Muqaddimah: An Introduction to History, terj. Franz Rosenthal (Princeton University Press, 1967), hal. 35.
  2. Ibid, hal. 136-138 (Tentang teori empat generasi dalam sebuah dinasti).
  3. Mark Zuckerberg, “A Year of Books: The Muqaddimah by Ibn Khaldun,” Facebook Post, 1 Juni 2015.
  4. Ibnu Khaldun, Muqaddimah, hal. 6-7 (Tentang kritik terhadap kesalahan para sejarawan terdahulu).
  5. Ibid, hal. 123 (Definisi dan peran Ashabiyah dalam pembentukan negara).
  6. Arnold J. Toynbee, A Study of History, Vol. III (Oxford University Press, 1934), hal. 322.
  7. Ibnu Khaldun, Al-Ta’rif bi Ibni Khaldun wa Rihlatuhu Gharban wa Syarqan (Autobiografi Ibnu Khaldun), hal. 1-5.
  8. Enan, Mohammad Abdullah, Ibn Khaldun: His Life and Work (The Other Press, 2007), hal. 12.
  9. George Sarton, Introduction to the History of Science, Vol. III (Williams & Wilkins, 1948), hal. 1262.

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Beberapa artikel lain:
  1. Gula Dan Sejarah Penindasan; 4 Mei 2017;
  2. Kesultanan Aceh Negara Berdaulat Pertama yang Mengakui Kemerdekaan Republik Belanda dari Kerajaan Spanyol di Tahun 1602; 18 Mei 2017;
  3. Pengulangan Sejarah; 23 Mei 2017;
  4. Bom Bunuh Diri Untuk Kemenangan Siapa; 25 Mei 2017;
  5. Memutus Lingkaran Kebencian; 8 Juli 2017;
  6. Mengapa Kita Merasa Senasib Dengan Palestina; 23 Juli 2017;
  7. Kopi, Legenda dan Mitos; 20 Februari 2018;
  8. Ketika Ibnu Battuta Melawat Samudera Pasai; 16 April 2018;
  9. Kebijakan Politik Islam Oleh Snouck Hurgronje Sebagai Saran Kepada Pemerintah Hindia Belanda Untuk Menghancurkan Kekuatan Islam Di Indonesia; 25 Juni 2018;
  10. Masa Depan Politik Dunia Melayu; 28 Juli 2018;
  11. Wabah Manusia; 25 Maret 2020;
  12. Hamzah Fansuri Perintis Sastra Melayu; 4 Juli 2020;
  13. Gereja Pertama di Aceh; 12 Juli 2020;
  14. Ketika Aceh Minta Menjadi Vasal Turki Ustmani; 21 September 2020;
  15. Sepak terjang Snouck Hurgronje Sebagai Penasihat Pemerintah Kolonial Belanda; 27 Maret 2023;
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CONTOH PUISI CINTA BAHASA GREENLAND/KALAALLISUT (EQQAAMASSAT DRZZLE-MIK)

Eqqaamaviuk qaqugu silap pissusaata allanngoriartornera? Arriitsumik ingerlaarpugut, sila tipigillugu.

EQQAAMASSAT DRZZLE-MIK

 

Suli eqqaamaviuk?

Qanga drizzle nuna pissusissamisoortumik

Arriitsumik ingerlasarsimavugut

Ataatsimut silap pissusaa tipigiuk

 

Qanga qimmit qimuttut

Ilumoorneq tamarmi nunamut aallarunneqarpoq

Pinngortitsisumit anersaaq pillugu takussutissiatut

Allaat inuit naalanngitsunut

 

Inuusuttuaranngornitsinni

Unioqqutitsinermik asanninnermillu ulikkaartoq

Silarsuarmi pissaanilissumik unammilligassaqartitsineq misigissuseqarluni

Aammalu ullup ilaani utoqqaliartorsimavugut

 

Ukiut qaangiupput

Toqup nipia sekundit tamaasa qanilliartortoq tusaruk

Raindrops-it arriitsumik nakkarput

Angerlamut pissangalluinnarlunga misigisimavunga

 

Ukioq manna qanoq iliorsimavunga

Uanga tunuani silap pissusaata allanngoriartornera tamarmik qilammi qinngasaarinermit imertinneqarpoq.

Ilumut nalunngilara maannakkut qanoq piumasaqarnerlunga

Unnuk ataaseq kisimi naammassissaaq

 

Piffissaq sukkasuumik ingerlasoq misigisimaviuk?

Piffissaq sukkasuumik ingerlasoq misigisimaviuk?

Piffissap ingerlanerani uteqqinnissamik misigisimavit?

Kisianni kingullermik uteqqinngilanga

 

Oqaasersiuussineq: KENANGAN AKAN GERIMIS

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