徳川家康 阿修羅
駿府。1616年6月初旬。湿気が多く、梅雨は毎年この月にやってきて、2、3週間続く。梅雨は私の好きな季節ではない。なぜか、思い出すと梅雨が嫌いになる。梅雨の時は、皆が家に集まって、火を囲んで餅を食べるのが常だ。今年は北海道から九州まで豊作で、良い年だった。この平和と繁栄の年は続くのだろうか。私は人間の本性を知っていると言われるが、本当のところは知らない。私は涙を流さず、冷酷な「阿修羅」にならないように、この平和を全力で守る。それが人の優しさの表し方の一つで、国中が知ることを期待しているわけではない。
今日、私は90の戦場を戦い抜いた武士、あるいは将軍として、ベッドで苦痛に耐え、死を待っている。昨日、病状が悪化し、伊達政宗が見舞いに来て、禅の詩を朗読してくれた。「正直は行き過ぎると頑固になり、徳は度を超すと弱くなる」。朝鮮遠征で秀吉の家臣でありながら、関ヶ原の戦いと大坂の陣で豊臣家に敵対した、私が常に疑っていた人物の、洗練された倫理観が、私の中に宿っていた。秀忠には東北の大名を僭称しないよう忠告すべきかもしれない。何しろ彼は私と同じ戦国時代の人物なのだから。
忠誠心のない男は役に立たない、そう言っていたでしょう、豊臣秀吉? あなたのことを思い出すと、嬉しくなって笑みがこぼれる。弱腰の後継者を持てたのは、秀頼の自業自得だ。関ヶ原の戦い以前から、西域の大名に領地の多くを奪われていたのだから、いつか地獄で会っても私を責めないでくれ。お前の子孫を殺した私には、国を統一する義務がある。結局、日本を統一した武田信玄、織田信長、上杉謙信、豊臣秀吉に劣るのは、私の方なのだ。
この点において、私は森輝元や北条氏政よりも優れていると今でも感じています。私が成功したのは、あなた方よりも忍耐強く、長生きしたからに他なりません。もう一つの幸運は、適切な時期に、適切な資質を持った子供に恵まれたことです。秀忠には、9年前に幕府を譲りました。この時代を制したのは徳川家です。
秀吉、分かっている。君と私は、あの男の活躍を目の当たりにできた幸運な男だった。憎みながらも敬礼した男、いや、君のように彼を愛したわけではない。織田信長、我らの師。尾張国を支配し、国を統一しようとした最初の人物。明智光秀が裏切り、不意を突いて攻撃していなければ、本能寺の事件。もしかしたら、彼とその子孫が国を率いていたかもしれない。おお、信長、あなたは本当に偉大で、最強と呼ばれるにふさわしい。心からそう思う。もしかしたら、あなたは地獄で私を待っているかもしれない。私があなたをどれほど尊敬していたとしても、実はあなたをとても憎んでいることを知っておいてほしい。あなたが私の長男信康を武田勝頼と共謀してあなたを毒殺しようとしたと非難し、私の妻を処刑し、信康に切腹を強要した時。あなたは父親として、もう一人の父親の心を打ち砕いた。因果応報というものが存在することを、私は感謝している。あなたの息子たちは秀吉の策略によって悲惨な死を遂げましたが、八幡神が私の手によって彼らを滅ぼさなかったことに感謝しています。
自分の最期が近いと感じた。死後の世界で会いたくない唯一の人物は真田幸村だった。いつも私と徳川家に迷惑をかける人物。無理もない、誰しも人に見られたくない暗い一面を持っているものだ。弱くて、ずる賢くて、負け犬。だが、それが彼らの一部なのだ。人生は重い荷物を背負った長い旅のようなものだ。ゆっくりと着実に歩んできた道でつまずいた時、不完全さや不快感は人間の宿命であり、不満はおろか絶望する余地もないと自分に言い聞かせる。過ぎ去った日々を思い出し、心に野心的な願望が湧き上がる。
忍耐は、私の人生におけるあらゆる平穏と確信の根源である。敵の怒りを目の当たりにしても、私に必要なのは、いかにして敵を打ち負かすかを知ることだけだ。すべての戦いに勝つとは限らないが、最後の戦いに勝利するのは私なのだ。
生きている人たちが私が仏になると言っても、私は必ず死ぬ。それでも私は「阿修羅」になって、先に逝った皆さん、過去の敵も友も、皆に会える方が気が楽だ。なぜなら、皆さんは私に、人生や日々がどれほど楽しいものかを教えてくれたからだ。今の時代の人間にはない、過去の人々の精神が、私は本当に恋しい。どれだけ時間が経っても、楽しかった。この戦場で戦った時からずっと。皆さんもまだ楽しんでいるでしょう?
私がしていることは、家族のため、この家が強くあり続けるためだと、皆さんに理解していただきたい。だからこそ、秀忠を強く育てたいのだ。自分の信念を貫き、他人に簡単に左右されない、強い男に育てたい。何があっても負けず、取り残されない男に。彼は私の後継者となるだろう。
最後に、人が最終目標を達成したとき、残るのは死だけである。
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徳川家康は徳川家の初代将軍である。1543年1月31日、三河の岡崎城で生まれ、1616年6月1日、駿府で73歳で死去した。徳川幕府は1868年の明治維新によって終焉を迎えた。
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翻訳:TOKUGAWA IEYASU, THE ASURA (English translation), IEYASU TOKUGAWA SANG ASHURA (Terjemahan Bahasa Indonesia).



